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どこかの大学職員のブログ

【論文レビュー】松宮ほか(2022)「大学の経営・特性からみた教職課程の設置行動―再課程認定の前後比較による検討―」

1953年7月の免許法改正により課程認定が制度化されてから、これまで3度の再課程認定が実施されている。1988年改正、1998年改正、そして2016年改正によるものである。2度目の再課程認定の影響に関する報告は、紹介者[1]の資料調査が未熟なため確認できていないが、初回の再課程認定の際には日本教育学会教育制度研究委員会が「もともと批判の多かった立法措置に加え、今後、各大学の教員養成を長期にわたって方向づけるカリキュラムの改正をごく短期間に完了せざるをえない事態はきわめて異常」と記した意見書を文部省(当時)に提出している(大田・三輪1989)。このときからすでに「教員養成の内容・方法に対する政府の関与、規制は抑制的でなければなりません」と釘を刺していることは、課程認定行政のあり方を検討する上で注目に値する。3度目の際には、日本教師教育学会に特別課題研究部会が設置され、会員に対する「教職課程の再課程認定についての教師教育学会会員アンケート」が実施されている。アンケートでは、再課程認定の影響について情報の収集と提供を求める声が複数みられる(樋口2019)。

以上より、再課程認定が養成機関や戦後の教員養成原則に与えるインパクトの大きさを窺い知れる。

 

本稿は、上記のうち3度目の再課程認定を分析対象とし、再課程認定のインパクト、とりわけ「再課程認定の前後を通じた教職課程の量的変化を追い、大学ごとの(既存の課程を諦める、維持する、新たに追加するといった行動の―紹介者注)差異がなぜ生じたのか」(p.57)をリサーチしようとするものである。

まず、文部科学省がウェブ上で公開している「教員免許状を取得できる大学」を整理し、再課程認定前後(2018-2019)の課程数の量的変化を明らかにしている。その上で、「再課程認定前後の教職課程の増減が、教員採用試験における需給関係によって規定されて」いることが推測され、「需給関係の観点からコストに見合わないとみなされた課程が、再課程認定を契機に切り捨てられた可能性が示唆できる」(p.60)と考察を加えている。

次に、課程数を減らした大学はどういった大学なのかを収容定員充足率や設置者、偏差値、学生数、目的養成課程の有無などを変数として統計分析を用いて説明している。結果、課程数を減らした大学は偏差値の高い国立大学と偏差値の低い私立大学であることを明らかにした。前者の課程数減少理由として、「政府による国立大学改革プラン(2013年制定)等、国立大学を序列化し、効率的に運営しようとする昨今の各種政策の影響」(p.63)を挙げ、後者の理由として「経営状態の良い大規模私立大学と、そうではない大学の格差の問題」(p.64)と解釈を加えている。

最後に、「再課程認定を経たことによって生じた開放制の意義へのリスクは、課程な(ママ)量的な減少というよりも、養成課程の属性がシュリンクすることに見出される、質的な問題として捉え直すことができる」(p.65)と述べる。つまり、「多様な主体が参入可能で、幅広く多様な人材の確保が可能」という開放制の理念下にありながら、研究大学に在学する国立大生や大学入学時点で学力水準の低い私立大生が教師になる道が狭められたことこそ「リスク」ではないかと提起し、論を閉じている。

 

本稿の注目すべき点を二点に絞って挙げるとすれば、第一に、再課程認定前後の量的変化を追い、今後の教師教育制度ないし教師教育行政研究進展に向けた基礎的データを整理した点である。本文中でも言及のあるとおり、課程数の増減に着目して再課程認定のインパクトを測ろうとした研究は、管見の限り仙波(2019)、藤谷・峯村(2020)のほかにない。当該先行研究においては、中高家庭科または高等学校数学/理科/情報のみに焦点を絞っているため、他校種他教科の変化の実態は把握できない。その点、本稿では校種や教科を問わず、すべての課程を対象とし、その量的変化を集計しており、変化の全体像を把握することができる。当該データからは、養成機関全体へのインパクトを窺い知ることができるとともに、養成機関の所在地やその教員需要動向等とも掛け合わせることで、更にインパクトの内実を突き詰めることが可能となる点において整理した意義は大きい。

第二に、統計分析を用いた分析手法である。CiNiiで「再課程認定」を検索すると36件の論文がヒットする。再課程認定を正面から扱った論文は多くはないが、その多くは各大学において教員養成カリキュラムをどのように見直したのかという事例報告ないし事例研究であり、養成機関に与えたインパクトを一般化するにはやや不十分さが感じられる。一方、本稿では統計分析を用いることで計量的なモデルで再課程認定のインパクトを説明しようとしている。計量手法について紹介者は、無知にも程があり、そのモデルを説明できる知識を持ちあわせていないが、この分野では珍しい方法論を採用し、俯瞰的にインパクトを捉えようとした点が特色といえる。

 

上記を確認した上で、紹介者が読んで気になった点について三点だけ最後に記したい。

まず、研究の目的についてである。本文冒頭、「大学ごとの差異がなぜ生じたのかを探索する」(p.57)と記載しているが、頁を追っていくと「課程が減ったとすれば、それはどういう大学なのかを…描く」(p.59)と、「原因」から「特性」を明らかにすることに目的がシフトする。分析の結果、偏差値の高い国立大学と偏差値の低い私立大学が課程数を減らしたことは明らかになるが、「差異がなぜ生じたのか」(p.57)―例えば本文中で「課程認定申請には膨大な作業が必要であり、…再課程認定申請自体を取りやめる大学もでてくるだろう。」(p.58)と指摘しているように事務負担の問題なのか、先行研究の整理で言及しているように課程認定行政の規制強化への対応の問題なのか―という「原因」は明らかにされていない。筆者ら自身が「手続きにおける細かな介入への対応がどういう影響をおよぼしたのかは捨象されている。今後の課題としたい」(p.65)と述べているとおり、研究デザインあるいは紙幅の都合上捨象したと推察する。評者自身の研究力のなさを棚上げしての指摘で大変恐縮だが、課程数を減少させた個別大学に着目し、質的にもその原因を探索することが、分析データの妥当性を補完するものと考える。

次に、再課程認定前後における課程数の量的変化への解釈についてである。筆者らの主張を要約すれば、学部段階での「福祉」「その他外国語」「保健」などの希少教科の課程数減少は、当該教科単体では採用枠がほとんどないため、一方「社会」は主要教科であるが、多様な学部で養成可能であり、供給超過かつ競争倍率が高いため減少したとするものである。では、採用数(枠)が全学校種の中で一番多く、一方で近年最低採用倍率の更新を続ける小学校課程の減少割合が-7%と、中学校・高等学校の減少割合とさして差異がないことはどのように解釈すればよいだろうか。また、子ども・子育て支援関係の人材需要の増加を受け、幼児教育を支える人材の確保が課題(文部科学省2020)とされながら、幼稚園課程の減少割合(-10%)が全学校種の中で一番高いのも気にかかる。紹介者の推測の域を出ないが、幼稚園課程に関しては、教員採用試験における需給関係以上に、「教科に関する科目」が「領域に関する専門的事項」に改正され、科目開設および担当教員の確保に苦慮した実情の反映ではないだろうか。なお、特別支援課程について、「特別支援教育の現場需要は増加しており…特別支援学校の免許状の増加は、これに呼応したと考えられる」(p.60)とあるが、本稿の主題に鑑みれば、特別支援課程は前回の再課程認定の対象となっていなかったことを十分考慮する必要があるだろう。

最後に、甚だ瑣末な点ではあるが、「開放制」の用語使用についてである。本稿では、「開放制の原則とは、国立の教員養成系大学・学部群以外にも養成課程の設置が許容されていることを指し」(p.58)と説明され、「国立大学中心の教員養成が強化されたとみなすことができ、…開放制の原則は部分的に毀損された」(p.62)といったように用いられている。国立、私立といった設置者の違いに重きが置かれ、「多様な主体が参入可能」という意で用いられている。しかしながら、その用語をめぐっては概念的錯綜も指摘され(岩田2017)、「教員養成制度やその内容を掘り下げて考えようとするならば、『開放制』という用語は用いるべきではない」(竺沙2001)との指摘もある。戦後教員養成の理念を正面に据えて論じた論考ではないため、あまり気にする必要はないかもしれないが、課程認定行政に着目し、大学の自主性・自律性を一つの軸として、国立大学改革プランや評価制度、補助金事業といった政策的コントロールにも言及し論じているため、「国家的な規制が緩い」という意も包含して用いているような箇所も見られる。例えば、「マクロにみれば、大学の自主性・自律性が制約された結果、開放制の原則が毀損されうるという先行研究の危惧は、的中しているとも言えそうである」(p.64)は、多様な設置主体よりも許認可行政の大学の自治、学問の自由への介入に関心が向いているように感じられた。実際、先行研究の整理で挙げた木内(2013)や勝野(2019)は、教職に関する科目の名称や含めるべき事項に対する規制強化、教職課程コアカリキュラムの基準性を問題視し、課程認定行政と開放制の原則の問題を論じているはずである。この用語に関しては、定義をあらかじめ読者に示しておいたほうが筆者らの主張が滞りなく伝わるように感じられた。

 

紹介するまでもないが、第一著者は課程認定申請実務にも精通しており、これまで多数の事例報告や解説を行っている。複雑怪奇な法令や基準を理解し申請実務を担当するだけでも骨が折れるにもかかわらず、アカデミックな視点からも課程認定にアプローチする姿勢は尊敬の念に堪えない。このような、実務と理論を往還し、実践力と研究力を総合的に磨いている人材こそ単なる「運営」を超えて、教職課程を「経営」(木岡1993)するために必要な人材であろう。教職課程に矮小化して書いてしまったが、第一著者は私立大学等改革総合支援事業といった補助金事業に関する業績も多数有しており、教職課程に留まらず活躍していることは付言しておきたい。今後の論考も楽しみにしたい。

 

【参考・引用文献】

岩田康之(2017)「大学における教員養成と開放制」日本教師教育学会(編)『教師教育研究ハンドブック』、学文社、42-45頁。

大田堯・三輪定宣(1989)「新教育職員免許法に基づく再課程認定に関する意見」『教育学研究』、56(2)、192-193頁。

勝野正章(2019)「課程認定行政の問題点と改革の方向性」『日本教師教育学会年報』、28、42-50頁。

木内剛(2013)「近年の課程認定政策と大学の自主性・自律性」『日本教師教育学会年報』、22、32-39頁。

木岡一明(1993)「全体の総括と残された課題(課題研究報告2 : 教師養成教育の評価(その1)-教職課程経営の評価-)」『日本教経営学会紀要』、35、135-136頁。

仙波圭子(2019)「教職課程再課程認定後の家庭科教員養成課程の変化」『女子栄養大学教職課程センター年報』、4、13-18頁。

竺沙知章(2001)「「開放制」概念の多義性とその限界」TEES研究会(編)『「大学における教員養成」の歴史的研究―戦後「教育学部」史研究―』、学文社、405-410頁。

樋口直宏(2019)「大学教育と教職課程―「教職課程の再課程認定についての教師教育学会会員アンケート」調査結果―」『日本教師教育学会年報』、28、152-153頁。

藤谷哲・峯村恒平(2020)「教員養成課程における「再課程認定」と「開放制」の変動」『人と教育:目白大学教育研究所所報』、14、58-64頁。

文部科学省(2020)『幼稚園の人材確保・活躍に向けたガイドブック』(文科省ウェブページ参照)。

 

 

 

 

[1] ブログでの論文紹介という意図も込めて、私自身のことを「紹介者」と表記します。